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広島サッカー向上委員会に出演してくださったゲストのインタビューをお届けします。

今西和男さん(FC岐阜セネラルマネージャー、吉備国際大学教授/'07年2月11日放送)

吉田安孝さんと石橋委員長
サンフレッチェ広島ゼネラルアドバイザー退任の発表以来、サポーターのみなさんからは惜別の思いを込めて「今西さんのお話を聞きたい」とたくさんのお便りが届けられた。だから今回、このタイミングで 今西さんのインタビューが実現したのはもちろんサポーターのみなさんの声がきっかけで、趣旨をくんでくださった今西さんからは、全ての質問に対して率直な回答をいただくことができた。お話は今西さんの 人柄があらためて伝わるもので、同時に広島サッカーの貴重な証言だ。きっとたくさんのサポーターのみなさんに興味深く聴いていただけると思っている。

今回のインタビューシートを書いたぼくの当初の狙いは、サンフレッチェ広島の創設やサントリーシリーズ優勝、そして経営危機とJ2降格など、その時々の舞台裏をうかがう事とサッカー専用スタジアム建設の可能性をはっきりさせる事だった。しかし収録を終えた今、感慨は当初の意図とは別にある。
今西さんの功績として、総監督(ゼネラルマネージャー)の役割の明確と確立や、指導者と選手の育成システムの充実などが必ずあげられる。インタビューの中でもそれらの経緯は触れているが、どの仕事も今西さんの流儀が発揮されていたことに気づかされる。
まずビジョンを描く。当然、その実現の努力は惜しまない。ビジョンを共有する者を信頼し、適所に配置する。今西さんのスタイルは正に総監督のそれで、数あるリーダーシップ論が言わんとするものだ。シンプルで分かっちゃいるけど、実践はなかなかに難しい。
今西さんは先月12日、66歳の誕生日直後にFC岐阜ゼネラルマネージャーの就任を決心したそうだ。現在描くビジョンは、3年以内のJリーグ昇格。かつて広島でそうであったように、岐阜でも今西さんの流儀は発揮されるだろう。
収録を終えた今、ぼくはそう確信するとともに、人生訓にも似たものを授かった気がしている。

再生ボタンのクリックでインタビューが始まります。
インタビュー1
サッカーを始めた舟入高校在学の頃について。
当時、広島大学附属高校サッカー班の鬼武健二さん
(J リーグ第3代チェアマン)との対戦エピソードなど。
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インタビュー2
東京教育大学在学の頃について。
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インタビュー3
東洋工業サッカー部でプレーしていた頃について。
当時、最強を誇った広島サッカーの強さについて。
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インタビュー4
現役引退からハンス・オフト監督との出会いについて。
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インタビュー5
サンフレッチェ広島の創設について。
プロリーグ参加に消極的だったマツダを動かした存在について。
クラブネームとクラブカラー決定の経緯について。
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インタビュー6
サントリーシリーズ優勝以降、奮わないサンフレッチェ広島の成績について。
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インタビュー7
サンフレッチェ広島の監督と選手について。
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インタビュー8
サッカー専用スタジアムの建設の可能性について。
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インタビュー9
ワールドカップフランス大会の予選、本大会について。
今後の日本代表チームについて。
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インタビュー10
FC岐阜ゼネラルマネージャー就任について。
サンフレッチェ広島サポーターのみなさんへ。
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吉田安孝さんと石橋委員長
  今西和男(いまにし かずお)
生年月日 昭和16(1941)年1月12日 広島県広島市中区出身 66歳
代表歴 日本代表(1966年、1967年)
※11試合出場0得点(Aマッチ3試合、Bマッチ2試合、Cマッチ6試合)
主な成績
1958年  第36回 全国高校サッカー選手権大会 出場
1965年  第1回 日本サッカーリーグ(JSL) 優勝
 第45回 天皇杯全日本サッカー選手権大会 優勝
1966年  第2回 日本サッカーリーグ(JSL) 優勝
 第46回 天皇杯全日本サッカー選手権大会 準優勝
1967年  第3回 日本サッカーリーグ(JSL) 優勝
 第47回 天皇杯全日本サッカー選手権大会 優勝
1968年  第4回 日本サッカーリーグ(JSL) 優勝
1969年  第49回 天皇杯全日本サッカー選手権大会 優勝
1970年  第50回 天皇杯全日本サッカー選手権大会 準優勝
1978年  第58回 天皇杯全日本サッカー選手権大会 準優勝
1987年  第67回 天皇杯全日本サッカー選手権大会 準優勝
1994年  1994Jリーグ サントリーシリーズ 優勝
1995年  第75回 天皇杯全日本サッカー選手権大会 準優勝
1996年  第76回 天皇杯全日本サッカー選手権大会 準優勝
1999年  第79回 天皇杯全日本サッカー選手権大会 準優勝
経歴
1959年  広島県立舟入高等学校 卒業
1963年  東京教育大学(現:筑波大学) 卒業
 東洋工業株式会社(現:マツダ株式会社) 入社
1965年  日本サッカーリーグ発足(ストッパー、スイーパーとして活躍)
1966年  第5回アジア競技大会1966バンコク 出場
1969年  現役選手を引退(JSL42試合出場0得点)
1984年  マツダスポーツクラブサッカー部 監督 就任
1992年  株式会社サンフレッチェ広島 総監督 就任
1994年  マツダ株式会社 退社
 株式会社サンフレッチェ広島 強化部長 就任
 財団法人日本サッカー協会 強化委員 就任
1995年  株式会社サンフレッチェ広島 取締役強化部長 就任
1997年  財団法人日本サッカー協会 強化副委員長 就任
1999年  財団法人日本サッカー協会 技術副委員長 就任
 財団法人日本サッカー協会 強化本部委員 就任
2000年  株式会社サンフレッチェ広島 専務取締役 就任
2002年  財団法人日本サッカー協会 強化本部委員 退任
2003年  株式会社サンフレッチェ広島 ゼネラルアドバイザー(顧問) 就任
 サッカー専用スタジアム建設推進プロジェクト事務局長 就任
2005年  吉備国際大学 スポーツ社会学科 教授 就任
 FC岐阜 顧問 就任
2007年  株式会社サンフレッチェ広島 ゼネラルアドバイザー(顧問) 退任
 FC岐阜 ゼネラルマネージャー 就任


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