添付録 玉手箱 1 執筆者:ACCO

甘えに纏わる美しき日本の矛盾

人間は甘える。
ある心理学者によると『甘え』は日本語独特の言い回しであるらしい。
と同時に『甘え』というものが一体どういったものであるかさえもが
表現の難しいトコロだと書されていた。
『甘え』とは何か?
他人が他人に寄り掛かることも、また或いは寄り掛かられることも
『甘え』といったものが根底に潜むのではないだろうか。
例えば、友人に嘘をつかれたり裏切りを受けたと過程する。
その場合、アナタはどんな感情を生むか。
悔しい、悲しい、憎悪、復讐、時に涙を流すこともあるのではなかろうか。
それは、人間が人間に勝手な期待を寄せたせいであり、所謂その期待こそが
『甘え』であろうと考える。

日本社会での親子関係は欧米と比較すると、大きな違いがあると聞く。
それは親子関係のみならず、日常の人間関係全般にも及ぶ違いであるらしいが
簡単に説明すると、欧米では人間同士の繋がり方がまったくもって統一化されている
ということ。それは親子関係と他人との関係にさほど大きな深みの違いが
ないというものからくる。
対して日本では親子の繋がりの深さが途方もないものであるということ。
日本人は親子関係を基準に「義理人情」を他人に向ける傾向があるのだ。
つまり、どういったことかと言えば、他人と心を開き合うまでのプロセスに
親子関係といった目標を置き、熱きロープを用意している心理である。
日本では親子関係ほど『甘え』が全面に押し出される場面はないように思う。
そういったことから考えても、『甘え』が欧米では表現しにくい感情であることがう
かがえる。

「期待」は信頼関係を生む。
一方、「期待」に応えない他人にはがっかりしてしまったりする。
正に、先程述べた熱きロープを焼き千切るほどの結果が生じることもあるのだ。
「期待」しなければ心の動揺は少ないであろうがそれを欠いて通れないのが
日本人なのである。
「期待」をし、その上がっくりと肩を落とすのは表面化されない『甘え』が大きな
要素を持つ。
(こうすれば先方はこう返すであろう)
(してあげた)
等の思いは、思い込みに他ならない。
もし、望んだものでないアクションを受けたなら
人は見当違いの怪訝なものを感じ、「義理人情」の器を
ひっくりかえすのであろう。
それを、善し悪しで唱えることは出来ないが
『甘え』こそ、日本の文化が生んだものであり
美徳とされる「義理人情」と深い繋がりを感じずにはいられないのである。

99/05/20

前回 インデックス 次回 ホーム