添付録 「彩り」について考える 5 執筆者:CIAO

ぬかるんだ水の色

の色 雲の陰、懐かしいあの思い出。過ぎし日の窓に残して。≫



昨年度の発掘調査で広島市の安佐南区の大町七九谷遺跡群で弥生時代の終わり頃から
古墳時代初め頃(今からおよそ1700〜1800年前)のムラの後が みつかっている。
 弥生時代というのは 小、中学の頃「人々が米づくりをするようになって竪穴式住
居に住むようになった」と習ったので平野の田園風景を思い浮かべてしまう。 だが
この七九谷遺跡は標高40〜100メートルの眺めの良い尾根の上にある。 ここは、い
ままで 繰り返し行われた階段状の造成地の部分もある。

この事は安佐南区沼田公民館の発行している公民館だよりで知ったのだが、いままで
発掘された弥生時代のムラのほとんどが小高い尾根の上に作られているそうだ。当時
も山がちな地形の広島では、米作りに適した川沿いの低湿地は大雨の降るたびに洪水
にみまわれたので、高台の谷間で湧き水を利用して田んぼをつくり、近くの尾根の上
に家を建てたのではないかと考えられているようだ。そういった昔の人々の暮らしの
あった所が発掘され 今また宅地造成され 同じ場所あたりに現代の人が暮らしてい
るケースもいる。

今回の水害で広島は未曾有の害をうけた。 弥生時代とは逆に 水害の起こりやすい
低い所から競り上がるように人々は家を建てて来た。そして、その現代の住居は山の
尾根にまで競りあがっている。切り崩した山は絶えず崖崩れの危険を孕んでいる。私
の実家の近所でも がけ崩れで おひとりの死者が出た。
 現在の私は昔、山だった頃なら尾根にあたるだろう場所に造成されている団地で暮
らしている。実家にも非難勧告が発令されて私の実家の母も 私の家に非難してき
た。結果的には、私は弥生の人のように 鳥のように高い所に暮らしてて水害を免れ
た。しかし、山合いの多くの家が水害から逃れる事ができなかった。現に 私のア
パートにも そういった方が引越して来られた。聞くとお友達も ちりぢりに色んな
所に引っ越して急場をしのいでいらっゃる。というお話だ。
 弥生時代なら大雨に晒されても高台に住んで難をのがれた。現代の広島は数少ない
平地部の方が便利がいいので家賃も お高い。高台に住むのは自然への畏敬の念から
ではない。単に、そこに造成団地群があるからである。私の場合などは、ここに市の
公団住宅があり、お手ごろに暮らせるからだ。

 私達は山を削ってコンクリートで敷き詰めて安穏と暮らしてきた。しかし、地盤は
水を地下に流すことなどでできない。大雨が降ると 大量の土砂が人々の暮らしを脅
かした。人々は いつからこんなにも自然を甘くみるようになったのだろうか?

99/08/05

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